備前焼作家難波史一の日記

2006年04月19日(水曜日)   晴れ
今日は、私の焼成方法を少し、解説しておきます。備前焼は一昔前までは伊部焼(いんべやき)と地元では言われていました。主に土管などが焼かれていて、一時は大きな産業でもありました。
しかし、土管はセメントなどの安価な物にとって変われていきました。

江戸の頃の備前は今の皆さんが見慣れている新備前焼とは違う物も沢山あります。それは江戸時代は塗り土と言う技法が一般的であり、江戸の頃の備前焼は塗り土である事は皆さんご存知だと思います。

作品を見ますと肌艶が今の備前と違う事に気付くと思います。ツルンとした繊細な感じがあります。この塗り土の技法を更に進化させた焼成が私の今現在、思案を重ねている焼成方法なのであります。ですから、今の登り・穴・角窯などでの薪だけでの焼成で還元による色付けとは肌の艶が若干違います。

私の場合は、バナーで出来るだけ、酸化で高温焼〆をし、最後の段階で最終的な色付けをします。非常に繊細な焼成ですので肌も決め細やかに焼き上がります。

食器や趣のある置物などには非常に重宝します。食器は非常に使い易い、置物はご年配の方が撫でて、お色を出す、手触りなど非常に心地よいものです。

また、金彩を出すヒントが見つかり今の目標の金彩備前博焼なった訳です。ですから、金彩備前博焼はそれを元に考案された焼成方法です。下記の画像が現在焼成されているものです。

薪による、金彩備前博焼も21世紀窯で成功は過去に知るところです。21世紀窯の場合は塗り土では無く、今現在の焼成(薪のみでの還元)で成功しています。

基本的には同じ焼成になるのですが、問題は肌をどのように美しくするかの問題で、現在、塗り土を更に研究中です。食器などにご利用頂ければ幸いに思います。
金彩備前博焼の焼成おいたち
金彩備前博焼の焼成の試みは遡るところ、私が小学校の頃です。幼い頃、近所の窯焚き爺と
呼ばれる爺がおりました。

このおじさんは、いつも、窯焚きだけをしている人で私の両親も知っている方ではないかと思います。
土管なども焼かれる事も無くなり、伊部の町もなにかしら、騒がしくなっていった頃です。
なぜか!それは備前焼作家が増えていった頃なのです。
金重先生が昭和天皇の前で大皿をひいて見せたのもその頃かと思います。

窯焚きが終ると、窯焚き爺は私に「やっと!終ったで〜〜今度こそは金が出るかな〜〜」なんて登り窯
に手をかざして言っていたものです。

私に「坊主!おめえも、おおきゅうなったら、伊部焼、焼くか?」なんて色々、窯の話や、昔話をして頂いた
ものです。
私は・・・その時、備前焼とはどす黒い汚い、灰のかぶった器なんて思っていたので「金}が出る?!
「窯焚き爺は頭がおかしゅうなったか!!」なんて思っていました。

でも、ある時、おばあさんの家にキンキラ光る!見事な色の備前焼を焼けたと言って持ってきたのです。
これが私の最初の「金備前」との出会いです。
今でも、目に焼きついています。

でも、それから何度も焼いているのに、窯焚き爺は「金備前」を見せてはくれません。
私は気になり、窯焚き爺のところに行くと・・・

「坊主!2500点の中で1個か2個出るか出んかじゃ!!」
それを聞いてなんで何十年も焼いている人が出ないのかが、当時、不思議でした。
それは、難しい焼き方なんかと・・・

当時は藁金(わらきん)は分っていましたがそれで「金」では完成率が非常に低かったのです。
あとで申し上げますが私はサンギリから発見しました。

時は流れて私は、大人になってしまいました・・・
ただ、あの頃に戻れたら、「窯焚き爺!私はなんぼでも!金出すで〜〜」と今は言いたいです。

これも、窯焚き爺に会えてからだと思います。どこにいるのか?天国にいるんです。
そして、私は色々研究に入りました。登り窯でも、どこかで、金備前は出ます。しかし、それが副産物の
ようにして出るのでは意味がない!!
・・・
登り窯の研究、穴窯の研究、そして、角窯、市販窯、などなど、数年に渡り、還元と酸化の関係焼成を計算
していました。

最終的には計算式にして還元と酸化の関係を割り出しました。
しか〜〜し、ここで、壁に・・・どうも、思っていたようにならないのです。

「そうなんです!」「おおざっぱ過ぎた!!」

窯がデカ過ぎたのでした!!そこで、小さい窯の製作で・・・あっけなく!!完成!!大成功!!
でも、まだ、「金彩備前博焼」と言えるものではありませんでした。

それからは何度も還元速度と言う計算式の改良を重ね、そして、温度・湿度・気圧など含めた計算式
を完成させたのです。

偶然の金彩備前博焼ではだめだったのです。
2000年には大型作品の金彩備前博焼にも成功しています。
遡る事、1990年には金の完成でした。

そして、2002年には肌艶に困りました。普通の備前焼では、ざらざら!これでは食器には使い憎い!!
好きな人はいいけれども、嫌いな人に言わせると「汚い!備前焼なんかで食器に使えるか!!」ショック
でした。大半の人はおそらく、そう思っているんだ!!

特に若い子に言わせると「高い!」「年寄りの器」「汚い!」「暗い」「・・・」聞いているとだんだん!腹が
立ってきていたのも事実です。

そこで、2003年の頃から松灰を完全ビロード化する事で知っている人もいるかもしれませんが「胡麻三昧」
の完成でした。

ところが・・・
これではだれでも、する内容だし、アマチュアでも分る技法!!などと罵られたの辞めるきっかけに。

それからは2004年〜2005年6月まで「泣かず飛ばず」

ところが!!!おかしなきっかけで大変な技法が思いついたのです。
それが、今、あたかも、簡単に出ている安価な金彩備前博焼なんです。間違ってもだれも、出せないの
ですから、私は今になって「自慢します!!」

最近は数万円の価格で買っていただいている方も本当に喜んでいただいています。

もちろん、悪い作品も出ますが、完成率は飛躍的に高くなりました!!
これも、PC普及でエクセルなどのデータ検索のおかげでした。

これからもまだ、まだ、進化を続けるものと思います。私が死んでしまうと、このデータもだれにも渡す事も
ないでしょう!!
難しい過ぎて理解が出来ないと思います。

ですから、ひょっとしたら!!株で言ったら、隠れた大株!!今は低位株でもね!!

くだらない話を=読んでいただき有難う御座います。

どうぞ!皆様!この「金彩備前博焼」を!落札してお使い下さいます様宜しくお願い致します。

                                備前焼作家  難波史一


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